その出会いは偶然か必然か







The moon of restraint and light of a thaw




 鬱蒼としげる木々の間で、二人の女性と一人の男性が立ち往生していた。上等な生地のドレスを纏った貴婦
人と使用人らしい女性が手を取り合って縮こまっている前には同じく護衛役らしい従者が守るように立ってい
るが、顔には焦りの表情がうかんでいた。少し離れた後方には今夜の宿として立ち寄っている町の入り口があ
る。ほんの十数メートルしか離れていないのだが、今の三人にとって遥か遠い彼方のようにも感じられた。
 理由は明白。彼らの周りには視界を覆うほどの蜂の大群が囲んでいたからだ。
 クラドには蝶の木と呼ばれる美しい木がある。名前の由来である幾年もの長い歳月を経た大樹からの樹液を
求めて集める蝶々が舞う美しい景色は、町の人々の憩いの場であり、旅人にも有名な観光地でもある。
 夫人はかねてから話しに聞いているその蝶の木を一目みたいと従者を伴って出かけたのだがその帰り道、蜂
の大群に襲われてしまったのだ。
 毒はないらしいが、非常に攻撃的なこの蜂は昆虫ではなくれっきとしたモンスターである。旅人ならば多少
の武術の心得もあるのだろうが、商売を生業にしている夫人は武器を売っても手にしたことはなかった。それ
にしてもこの異常な数の魔物達相手では護衛役の青年だけでは主人を守りきるには自信がない。途方に暮れて
いる三人に、しかし思わぬところから救いの手が差し伸べられた。
 ざっ!と頭上の木の上から小柄な影が三人の目の前に落ちてきた。音もなく三人の前に着地したのは幼い獣
人の子供。突然の出現に驚き戸惑う三人をよそに、少年は手にした長剣で目の前の蜂を叩き落していった。
 魔物はそれまでの警戒態勢から子供を攻撃対象にしたらしい。一気に集中するのを高く飛び上がって群れか
ら抜け出して集まったモンスターをなぎ倒していく。
 肩を越す黒髪が旗印のように靡き、素早さを生かして三人からあっという間に群れを離してのけていた。そ
の鮮やかな腕前にあぜんとしたように見ていたが、少年がちらりと目線を寄越したことに我に返った護衛役が
主人と使用人を促して町へと走り出す。町の入り口にたどり着いた三人が見たときには、すでに少年が最後の
一匹を仕留めたところで、少年は三人の安全を確認するように一度顔を向けた後、何も言わずに現れたときと
同じように軽い身のこなしで跳躍し、あっという間に木々の間に溶け込んでしまった。




 獣人の少年との出会いから翌日、いくつもの商談をまとめて帰る途中に立ち寄ったクラドで、夫妻は一人の
獣人族を引き取った。きっかけはたまたま見かけた愛玩動物を扱う商人の傍にうずくまる子供に夫人の目がと
まった事だった。
 夫人は一目でこの少年が先日の蜂の大群から助けてくれた少年だとすぐに気付いた。薄汚れた外套に少し痛
んでいるものの、紫の光沢をもった不思議な黒髪と黒い猫のような耳と長い尻尾の、見た目11、2歳くらい
の少年。白く細い首には擦り切れた首輪を嵌められている事から、この少年もれっきとした『商品』なのだろ
うが、それにしては扱いが随分乱雑な気がする。立ち止まった夫人に気付いた夫が振り返ると、夫人は手短に
あの少年の事を夫に話した。昨日の出来事はすでに知っている夫は興味を持ったように少年へと視線を移し、
夫人にうながされるまま夫妻がその商人のもとに近寄ると、男は驚きながらも愛想笑いを浮かべて見せた。
 「こ、これはこれはカルツ商団の旦那様と奥方様、なにかお探しでしょうか?」
 名だたるカルツ商団の長たる夫婦自らのお出ましに、男は緊張のあまり背につめたい汗を流していた。各国
の王侯貴族ですら一目置くあのカルツ商団が、こんな町の一商人に一体何の用件だというのだろうか。
 「そちらの獣人の子供は貴方のお連れかしら?」
 夫人が男の傍で静かに事の成り行きを見守っていた少年について訊ねると、自分の事が話題に上っていると
気付いて夫妻へと顔を上げて見せた。
 少年が顔を上げたので改めてみてみると、薄汚れてはいるものの女の子と見紛うばかりの品の良い整った顔
立ちをしている。髪と同じくこの地方には珍しい青灰色の瞳がなんの感情も見せることなくただ見つめてきて
いた。少年の容姿に改めて驚きながらも、間違いなくあのときの子供であると夫人は確信し、夫をみやると、
夫はかすかに頷いて見せた。
 少年にしても、昨日たまたま気まぐれに助けたあの貴婦人がまさか今目の前に立っていることに少なからず
驚きはしたものの、表面上は初対面であるかのようになんの反応も返さなかった。
 ただ、抜け出したことがこのペット屋の主人に知られてしまうと、後で厄介な事になるのを経験上知ってい
る為、反射的に一瞬モーガンへと窺うような視線を送ってしまったが。別に鞭打たれるのは何度もあることだ
から今更怖がることでもないのだが、それでも嫌な事であるのは確かなので、できれば避けて通りたかった。
 「失礼な事を聞いてごめんなさい、あなたは男の子なのかしら?」
 少年のペット屋の主人に一瞬見せた窺うような目線に昨日の遭遇は少年がこっそり抜け出したことであるら
しいと夫妻は察して、同時にこの少年が怯えるほどの男の対応の酷さにも内心眉を潜めながらも、その事はお
くびにも出さずに話しかける。
 「そうです」
 気付かれていないのか、夫人からは昨日のことについては何も触れられなかったことに、内心安堵の息をつ
いた。
 けれどどのタイミングで出てくるかわからないため、まだ緊張は解かない。
 今だ警戒しているような少年に、先程の推測が当っていたと確信した夫人は、安心させるような笑みを浮か
べて少年の前に膝をついた。
 「綺麗な髪ね。ここらでは見ない色だわ。…触ってもいいかしら?」
 初対面のような接し方をする夫人に、どうやら昨日の件は話さないでいてくれるらしいとようやく少年は警
戒をといた。
 「…どうぞ」
 夫人の要望に、少年は小さく頷く。本当は他人に触れられるのは好きではないのだが、不思議とこの夫妻に
は何時もの半分も警戒心も、嫌悪感も抱かなかった。
 頭を撫でられても常ならば即座に払いのけるのに、おとなしく撫でられるままの少年に、店の主人のほうが
面食らったくらいだ。
 見た目の割りに随分と落ち着いた雰囲気により興味をそそられたらしい夫人と同じく、興味を持ったらしい
カルツ氏も少年の目線に合わせて腰を落とした。
 「貴方、年はいくつかしら?」
 「15になります」
 夫人の問いに、変声期前の少年特有の声が静かに答えた。
 「ほう。たしか君達獣人族も私達と年の取り方は同じだと聞いているのだが?」
 話し方にどこかで教養を受けたのではないかと思わせる少年に、今度はカルツ氏が聞いてくる。その質問に
なぜかペット屋の主人が大いに慌てていたのを目の端捕らえながらも、カルツ氏が少年に答えを促すと、一拍
置いて少年が口を開いた。
 「それは、私がある事情で呪いを受けた忌み子だからです。今はこの姿ですが、月の出ている夜はもとの1
5歳の姿に戻ることが出来ます」
 落ち着いた口調で告げられた重い言葉に、さすがに夫妻も驚いた顔をした。その傍らで、ペット屋の主人が
まいったとばかりに額に手をあてて空を仰ぐ。
 というのもこの獣人族の少年は見た目ですぐに売れはするが、言葉の通りの忌み子だと知られるとすぐに返
されてしまったからだ。
 確かに呪いを受けたような不吉な子供など、誰も進んで引取りはしない。ペット屋の主人…モーガンもわか
っていたらわざわざ高い金を払って買ったりはしなかった。
 おとなしいし、賢く見た目も良い。だが呪われているというだけで、この少年は人族はおろか同属にすら気
味悪がられていた。
 15というとまだ成人でもないし、親の庇護のもとにいる年頃のはずなのだが、呪いを受けてしまった時点
で捨てられたか、殺されてしまっているか。どちらにせよ、この少年には身寄りなどないのだろう。自分で商
品になったかどうかはさておいて、売られているにしてはその少年の仕草や言葉使いにはある一定以上の水準
の教育を受けていることが見て取れた。
 「貴方、私達のところに来る気はない?」
 少年と目線を合わせた夫人が尋ねてくるのに、初めて少年の顔に驚きの表情が浮かんだ。
 「先程言ったように、私は呪いを受けているのです。それでもいいのですか?奥様」
 躊躇いがちに確認してくる少年に夫人はにっこりと笑いかけた。
 「ええ。聞きました。でもその呪いは私達に害を為すものなのですか?」
 「…いいえ…」
 「では、何も問題はありませんね。私は貴方を気に入りました。私達には貴方と同い年の息子がいるの。貴
方には息子のお友達になってほしいのよ…ね、あなた?」
 そういって優しい笑みを浮かべる夫人に戸惑いながら、少年が夫であるカルツ氏をみると、彼も異論はない
のかあっさりと頷いた。
 とんとん拍子に進んでいく商談に、さすがの少年も目を白黒させる。忌み子であると承知で引き取るという
のもさることながら、果ては自分達の大事な息子の友達になれという。身なりから相当な富豪であるとはわか
っていたが、ここまで破天荒な性格の人などそうはいまい。
 「そうときまればさっそく引き取らせてもらおう。…支度金はいくらだ?」
 カルツ氏の言葉に、男はいつもの値段を言おうとして、しかし相手があのドメリン=カルツであることから
倍の値段を吹っかけてみた。
 その値段に少年のほうが驚いたようにモーガンを見上げるものの、少年が何かを言うより早く、カルツ氏が
値切ることなく承諾し、下僕に金貨の袋を持ってこさせた。
 あっけにとられている少年に一歩近づいた夫人に気付いて向き合うと、「外しますよ」と一言いってから少
年の首に付けられていた擦り切れた首輪を外した。
 「…ありがとうございます。奥様」
 新たな主人となった夫妻に少年はやはり愛想笑いすら浮かべることもなく、静かに頭を下げた。
 「さ、早く息子にもあってもらいましょう。ああ、その前にまずは体を洗わなくては。貴方とても可愛らし
い顔をしているのに汚れたままじゃ勿体無くてよ?」
 うきうきと楽しそうな夫人に手を引かれながら馬車へと連れられていく。普通ここまで薄汚れてしまってい
る自分に、躊躇いもなく手を差し伸べられるのだろうかと呆然としながら促されるまま馬車に乗り込んだ。そ
して夫妻の正面へと進められる。驚きすぎて声が出ないながらも、素直に従った少年が腰掛けると、上質なク
ッションの感触に今まで以上に困惑と、居心地の悪さを感じ始めていた。疎ましがられるのが常で、今までも
自分を買った連中ですら綺麗になるまで彼に触れようとはしなかったのに、この夫妻は一切気にしなかった。
だからこそ、初めて会ったときも今までの連中とは毛色の違った人だと感じたのだろうし、いつもは決して言
わない呪いのこともその場で白状してしまっていたのだろうと、どこか他人事のように少年は自分を分析して
いた。
 「そうだ、お前の名前をまだ聞いていないな」
 馬車に乗り込んだ夫妻の正面に座らされた少年は、今更ながらに気付いたというようなカルツ氏の言葉によ
うやく我に返ったように顔を上げた。
 「…ボリス=ジンネマンです」
 こうして新たな主人にむかって、獣人族の少年…ボリスはようやく自分の名前を告げたのだった。














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