変わる景色と加速し始めた歯車







The moon of restraint and light of a thaw




 夫妻が滞在している町一番の宿屋で、さっそくお湯で清められたボリスは、夕食を一緒にと夫妻に進めら
れるまま、豪華な食堂へと案内された。
 「まぁvすっかり見違えたわ」
 部屋に通されたボリスを見るなり、夫人が手を合わせてにっこりと笑いかけてきた。ボリスは相変わらず
の無表情のまま、ありがとうございます。と平坦な声で応じるだけだった。
 席に着いたボリスとやはり向き合うようにして夫妻は席に着くと、早速給仕が食事を運んでくる。不躾に
ならないようにカルツ氏が少年を観察すると、やはり最初の印象の通り、彼はきちんとした教育を受けてい
ると確信した。
 食事の作法についても付け焼刃で身に着けたものとは違って、ごく自然な動作で様になっている。無邪気
に話しかける夫人に言葉少なく、けれど失礼にならないように丁寧な受け答えをしている所をみても、彼が
賢い少年であることも窺えた。
 最初は15と答えた少年の言葉に半信半疑だったのだが、なるほど。この落ち着いた行動であれば15歳
でも納得できよう。
 そうして同時に自分の息子の事を考えて、ちょっとだけカルツ氏は凹んだ。少年と同い年なのに、息子の
ほうはこの少年よりもずっと幼く見えたのだ。見た目でいうならそこまで幼くはないのだが、内面がまだま
だわがままで精神的にずっと未熟なわが子を見るにつけ、将来自分の跡取りとして本当にやっていけるのか
と実は少しだけ不安に思っていた。
 もちろん、今はまだまだ十分に親の加護が必要な年頃なのだから、そこまで思い悩むことは必要ないのか
もしれないのだが、同い年でしかも今見た目が11、2歳くらいのこの少年をみていると、色々と考えさせ
られるのだ。
 もちろん、彼が大人びているのは性格だけでなくそれだけ今まで苦労してきたからこそなのだろうが…。
 「あなた?」
 夫人の呼びかけに、考えに沈んでいたカルツ氏が現実に引き戻された。なんでもないといって自然と止ま
っていた食事を再開させる氏を、無言のままボリスも静かに見ていた。




 翌日、隊を組んでクラドを出た一行は、一路邸宅のあるアノマラド南部にある田園地帯を目的地としてい
たが、その日は街道の途中で野営をすることになった。
 月が中天に差し掛かるころ、突然隊の端の天幕のほうが騒がしくなった。そこは使用人たちの天幕が集ま
っているところで、夫妻の近くに設置された一人用の天幕からボリスが出てきた頃には、不自然な明るさが
騒音の方向には見えていた。
 悲鳴と武器の打ち合う金属音、またたくまに広がった明るい色は見張りようのかがり火が天幕に燃え移っ
た炎の色だろう。
 何事かと顔を出してきたカルツ夫妻にボリスが駆け寄ろうとしたそのとき、夫妻の横手の暗闇から、複数
の手に獲物を掲げた男達が現れた。
 身なりも手にしている獲物にも共通性のない、一目で健全な人生を歩んできたとはいえない風体。おそら
くこの襲撃を企てた盗賊のメンバーなのだろう。
 夫人をかばうようにカルツ氏が男達の前に立ちはだかるが、武器らしいものはなにももってはいない。何
事かを喚いた賊の一人がカルツ氏に切りかかった瞬間、横合いから割り込んだボリスが剣で男の武器を弾き
飛ばした。
 「なにぃっ?!」
 突然の乱入者にその場の全員の視線が集中するが、ボリスはそれに頓着せず、動揺した男をそのまま切り
伏せた。
 盗賊達は仲間が倒されたことに怒り、突然の乱入者に攻撃の対象を切り替えると、一斉に踊りかかった。
炎の色に照り映える黒髪が翻り、手にした剣が銀の光をひらめかせるたびに一人又一人と地に倒れ伏す盗賊
達。ボリスは慌てることなく突っ込んできた無駄のある男達の動きを見切り、余裕の身のこなしで斬撃をか
わし、素早く踏み込んで瞬く間に数を減らしていった。
 その鮮やかな手並みに夫妻が声もなく見守る中で、全ての男達を倒したボリスは、ゆっくりと夫妻に向き
直った。
 先程までのいくつも火の手は今は大分収まり、人々も大分落ち着きを取り戻してきた。そのなかで半ば闇
に溶け込むようにたつ少年は、手にした剣を鞘に収めると、ただ無言で夫妻を見やった。まるで夫妻の反応
を窺うような、待つような少年の沈黙に、最初の静寂を破ったのは夫の傍でじっと少年を見つめていたロニ
アニ夫人だった。
 「貴方…ボリスね?」
 「…そうです」
 夫人の問いに、ボリスは頷いた。今やれっきとした15歳の少年の姿となったボリスは、しかし近寄るこ
ともなく、篝火の届かない闇から出ようとはしない。
 「ふむ…。たしかに今のお前をみれば15歳なのはたしかなようだな」
 ドメリン氏が興味深げに頷いて、おもむろにボリスのほうへと歩みを進めた。それをみたボリスがほんの
少しだけ戸惑うよな気配を見せながら、しかしその場に立ったままカルツ氏が近づくのを待った。
 「まぁまぁ…本当に立派になったのねぇ。最初は女の子かと思うくらい可愛らしかったのだけど、いまは
れっきとした男の子にみえるわ」
 夫に一歩遅れて夫人もボリスの元に歩み寄る。少しだけ目上げるようにして見つめる少年は、躊躇うよう
に一拍おいて口をひらいた。
 「…姿が変わった私が、怖くないのですか?」
 今までは夜になった途端姿を変えてしまうボリスに驚き、気味悪がられる反応しか返されなかっただけに、
あっさりと近寄ってきた夫妻に、ボリスのほうが困惑していた。
 「あら、こんな可愛らしい男の子を怖がったりなんてしませんよ。本当の貴方にあえて嬉しいわ、ボリス」
 「お前を捨てた連中は見る目がないらしいな」
 今まで何度か捨てられていると聞いている夫妻が、穏やかな笑みを浮かべた。特に夫人は15の姿のボリス
を一層気に入ったようで、丹念に梳いて艶を取り戻したボリスの髪を早速弄り始めている。夫のほうも別に
気味悪いと思わず、しかもつい今しがた見たボリスの剣の腕前にいい人材を発掘できたと満足したらしい。
 今までと真逆の好意的な反応に一人ついていけないボリスが固まっていたが、ようやく使用人たちが主人
の元へとかけてくるのが見えて体を強張らせる。そのことに気付いた夫妻が使用人たちがたどり着く前に自
分達の天幕へとボリスを素早く引き入れてくれた。
 「ご無事ですか旦那様!奥様!!」
 使用人が天幕から声を聞きつけて出てきた風なカルツ氏を見て一様に安堵の表情を浮かべた。
 「大変です!ボリス様が…!!」
 その主人にむかってボリスの天幕の様子を窺ってきたらしい一人が、血相を変えて走ってきた。ボリスは
カルツ家の一人息子の友人として迎えられるためか、雇用人としてではなくカルツ家の一員として遇される
らしい。拾われて今日までの道すがら、ひたすら様付けや丁寧な対応にボリスは慣れるまで密かに何度も面
食らっていた。
 「ボリスならワシらの天幕の中だ。先程そこの賊ども退けて、今は動揺したロニアニの傍におる」
 慌てる使用人にしれっと答えて視線を賊の倒れているほうへと向ける主人に、集った人々は驚いて目を見
張った。しかしそれも意外なほどあっさりと収まった。
 「紹介したときに言ったように、ボリスは自らの一族の慣わしに従って小さな子供の姿をとっているが、
非常事態だった今、特別に術を解いて守ってくれたのだ。なかなか見事な剣の使い手であったぞ」
 カルツ氏が湯浴みを済ませたボリスを集めた使用人に息子の友人として紹介していたから、ボリスの顔は
知られている。呪いの事はさすがに伏せられて、ボリスの一族に伝わる慣わしとして、今は小さな子供の姿
をしていると説明されていたので、続いたカルツ氏の言葉に使用人たちは納得したようだった。
 人に比べると少し数の少ない獣人族は、主に森の中で自然と共に生活を営むことを重んじるものが多い。
なかには人に混じって街中に住むものもいるのだが、彼らは一族ごとに様々な習慣をもっていた。カルツ商
団のなかにも獣人族は少なからず働いているのだが、やはり彼らにも独特の慣わしがあったために、改めて
驚くこともないのだろう。
 合わせて人よりも身体能力が優れている傾向があるためか、ボリスが息子の友人兼護衛役として迎えられ
ているのでは、という推測も図らずしてあらたな真実となって使用人たちの認識に組み込まれることになっ
たのだった。
 外の様子に耳をすませながら、ボリスはつくづく不思議な夫妻だと思った。ペット屋で拾われて以来、か
わらない態度に戸惑いつつも、好感を持っているボリスは、数日後に引き合わされる彼らの息子に少しだけ
興味を抱いた。
 きっと何不自由なく育てられているから我侭なんだろうな、と思いながら、少しだけ楽しみにしている自
分にボリスは内心苦笑した。
 いくらこの夫妻が人格に優れいていても、子供にもそれが余すことなく受け継がれているとは限らない。
 それでも、闇の中に一筋の光が差すような一種の予感めいたものが、ボリスの胸にあったのは事実だった。














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