本当の事を知られて、君に嫌われたりしないだろうか…







The moon of restraint and light of a thaw




 「ボリスーっ今夜温室にいこ!」
 ルシアンが唐突に言い出すのはいつものことだが、今度の言葉はボリスにとってはどうしても承諾できない
ものだった。
 「だめだ」
 ルシアンが言い出すことに、積極的に賛同しないのはいつもの事だが、この時のボリスは理由が理由なだけ
に何時もよりも頑なに拒否する姿勢を見せた。
 カルツ家に迎えられて二ヶ月。ボリスが引き合わされたカルツ夫妻の息子、ルシアンは何もかもがボリスと
は正反対だった。
 何不自由なく育てられたルシアンは、幼子の無邪気さをそのまま無くすことなく育ってきたような少年で、
よくいえば素直で純真。言い方をかえれば子供っぽく、やや短慮に過ぎるところがあった。
 とにかく好奇心旺盛で、何にでも面白がって良く笑うし、ころころと実によく表情を変えていくルシアン
は、同い年の友人として両親が連れてきたボリスに当然かなりの興味を持った。人族であるルシアンと獣人族
のボリス。明らかに幼く見える外見でありながら、中身は正反対にルシアンよりも大人びている。すぐに熱く
なるルシアンと淡白で冷静なボリス。
 全く自分とは違う性格を持つ彼に、ボリスは正直どう接していいのかわからず常に一定の距離を置いていた。
 それでも一緒にいることに嫌な気はしないのは確かで、ボリス自身不思議な事だが、ここ最近では二人でい
る事のほうが自然になってきているときもあった。
 カルツ夫妻はルシアンに呪いの事は言わなかった。使用人にした説明と同じことを言い、本当の事を言うの
はボリス自身に委ねたのだ。
 その事にボリス自身は最初は特に何も思わなかった。二ヶ月経った今では、その夫妻の判断がある意味正し
かったようにも思える。
 不思議な事に、呪いの事を知っても多分この少年は態度を変えてしまうことはないだろうという妙な確信は
あったのだが、呪いの事をうっかり他人にもばらしてしまう可能性は十二分に考えられたからだ。
 かといってこの少年は幼くはあるものの、結構賢いところもあるから、あるいはそんなことはないのかもし
れないが、それでも極力この少年には呪いの事は知られたくなかった。
 疎ましがられるのはもう慣れていたはずなのに、ルシアンにだけは万に一つでも嫌われたくはなかった。そ
れはボリスにとってはじめての友人であるからなのだろう。
 この屋敷に来て以来、ボリスは夕食を済ませてからはすぐに与えられた自室に下がって誰とも会わないよう
にしていた。
 今まではそれでも何も不都合がなかったのだが、今日はやけにルシアンが食い下がる。ボリスに否といわれ
るのは割と良くあることなのだが、これまでにない頑なさに、返ってルシアンの興味を惹いてしまったらしい
と、ボリスは内心でため息をついた。いざとなれば、一族の慣わしだからと突っぱねることも可能なのだが、
部屋が隣同士であるために、ルシアンが夜に強襲してくることも十分に考えられた。
 「…どうしても夜じゃないといけないのか?」
 せめて夜でないなら承諾できなくはない、とボリスが暗に否定を示しながら説明を求めると、ルシアンが待
ってましたとばかりに目を輝かせた。
 「あのね!温室にある花の中に月の花っていう珍しい花があるんだって。昼間は普通の草なのに満月の晩に
だけ花を咲かせるっていう花なんだけど、今日満月だから見られるはずなんだ」
 声を弾ませるルシアンだが、答えを聞いたボリスは内心の少し安堵しながら、表情には苦笑が浮かんでいた。
 「ルシアン、その花なら俺も本で読んだことがあるが…、タイミングが少し遅かったようだ。あの花が咲く
のは雪解けが始まる初春だ。今はもう夏の初めだから花の時期は終わっている」
 ボリスの言葉に目に見えて落胆するルシアンだったが、それなら!と今度は月を見ようと言い出した。花を
見たかったのも本当だろうが、ルシアンの中でいつの間にか何が何でもボリスを夜中に連れ出すことが目標に
摩り替わっているらしかった。
 こうなってしまっては、もう何を言ってもルシアンは夜にボリスの部屋を訪れることになるのだろう。逃げ
られないと悟ってボリスは小さくため息をついた。
 いよいよ最後の手段をとるしかないかと思いながら、けれど口にしたのは全く逆の事だった。
 「わかった。…だが、何を見ても誰にも言わないと誓えるか?」
 あっさり頷かれて、今度はルシアンが拍子抜けする番だった。あれだけ困ったような顔で渋るから、いざと
なったら夜にこっそり部屋にいこうとしていたのだ。
 「うん!誰にも言わないよ!!あ、でも…父上や、母上にも内緒なの?」
 にっこりと頷いて、けれど困ったようにボリスを窺うと、彼はいいや、と苦笑いのままやんわりと首をふっ
た。ルシアンが両親特に母親に隠し事をするのが苦手だ(というかすぐにバレてしまう)というのを知ってい
るボリスはただ苦笑するしかなかった。元々夫妻には言ってあることだから、特に困らないことでもある。
 「旦那様と奥様には構わない」
 「じゃ!九時半に温室に!」
 ボリスが頷いて、ルシアンがにこにこと上機嫌に笑いかけてきたのに、ボリスは少しだけ心に針が刺さった
ような痛みを感じた。
 どうか、呪い事を知っても今までと同じように友人としてルシアンの傍にいられますよう…
 部屋に戻ったボリスは、まだ太陽に隠された月を見上げるように空を仰いだ。




 夜のひんやりとした空気の中、足音を忍ばせたルシアンが温室の扉をそっと開いた。
 温室といっても、庭園として立派に整えられたガラス張りの箱庭のようなそこは、昼とはまた違う顔をみせ
ていて、ルシアンは息を潜めながら進んでいく。屋敷と繋がっているこの温室はルシアンの母であるロニアニ
夫人のお気に入りの場所でもあって、ちょくちょくお茶の時間に訪れているから、真ん中の噴水のある広場ま
で迷いなく進むことができた。
 満月の夜らしく、ランプに頼らなくても十分に見渡すことが出来るその広場には、すでに先客がいた。
 「あっボリス!」
 友人の姿を見つけて嬉しそうに駆け寄ろうとしたものの、彼がいつもと様子が違うことに気がついて少し手
前で足が止まった。
 戸惑うような気配に、ボリスは何も言わずに立ち上がる。
 「どうしたの?」
 怒っているでもなく、どことなく緊張したような少し哀しそうな、常にないボリスの様子に言い知れない不
安がルシアンの中で生まれていた。同時にこんなボリスを見るなら、昼間あれだけ渋ったボリスをつれてくる
べきではなかったと今更ながら後悔し始める。
 今からでも部屋に戻ったほうがいいのかもしれないと、ルシアンが口を開くより一瞬早く、ボリスがルシア
ンの瞳をひたりと見つめて静寂を破った。
 「…これから見ることは、誰にもいわないでほしい」
 驚くなとは言わない。…嫌いにならないで欲しいとは…どうしても言えなかった。
 意味がわからないという風に、ルシアンが眉を寄せるのを、ボリスはそれ以上何も言わずにガラス張りの天
井に見える満月に顔を向け、静かに瞳を閉じた。
 「…ぁ…」
 見守るルシアンから無意識に囁くよりも小さな声が漏れた。
 月の光を浴び、静かに瞳を閉じたボリスを淡い光が包み込んでいく。風もない室内なのに、ゆうらりと艶を
増した黒髪が踊り、小柄な体が急速に時間を加速させて成長をはじめていく。
 そうして一分にも満たない間に、目の前には幼い子供であった少年が、同い年の少年の姿となって立ってい
た。
 閉じていた瞳を開けて、ボリスがゆっくりとルシアンに向き直る。
 「俺が夜に出たがらない理由がこれだ。…俺は呪いを受けている。…気味が悪いだろう?」
 そこだけ時間が止まったように固まるルシアンに、変声期を迎えた落ち着いた声が投げられた。
 告げられた言葉にはっとしたように我に返ったルシアンがボリスの元に駆け寄った。
 「どうして?別にボリスはボリスだろ?それに呪いって…?ボリスの家の慣わしなんじゃないの?」
 躊躇いなく駆け寄ってきたルシアンが、全く態度を変えなかったことにボリスは無意識に詰めていた息を吐
いて噴水のふちに腰掛けた。当然のようにルシアンも隣りに倣って腰掛ける。
 「慣わしというのは呪いであることを隠すための口実だ。…忌み子であるとわかれば、それだけで疎ましが
れらるから」
 「でも!それはボリスが悪いわけじゃないじゃないか!!」
 少年が淡々と答えるのに、ルシアンが憤慨したように言い返すのを、ボリスは嬉しそうに少しだけ口元を綻
ばせた。
 「そうだな。…でも普通はあるはずないとわかっていても、その呪いが自分にも降りかかるのではないかと
恐れる。何か不都合が起これば忌み子だということで俺に怒りの矛先が向けられる。…この呪いはあくまで俺
と俺の家族に向けられたものだから、他の人には全く影響などないのにな」
 暗い影を潜ませたボリスの言葉に、ルシアンが声を詰まらせた。12歳のときからここに来るまでボリスが一
人で旅をしていたことは聞いてはいたが、その旅事態が呪いを受けたせいで故郷を追われたからで自らの決断
ではなかったのだ。平穏だった子供の世界が崩壊し、何もかもに見放されてしまった旅は自分が想像していた
ものとは遥かにかけ離れた辛く苦しいものだったのだろう。
 それを思ってか今にも泣きそうな友人の顔をみて、ボリスが苦笑した。
 「…そんな顔をするな。今はお前が傍にいる。…この姿をみて態度を変えなかったのは、お前とお前の両親
だけだったが、それで俺には十分なんだ」
 「父上も母上も知ってるの?」
 「ああ。拾ってもらった次の日に不可抗力だが、姿を見られている」
 「そっか…」
 自分よりも先に両親がボリスのこの姿を見たことがあると聞いて、ルシアンは何故だか少しだけ落ち込んだ。
 たぶん本当に仕方のなかったことなのだろう。先にボリスにあったのも両親なのだから。だけど、自分が最
初でなかったのが悔しくてならなかった。
 「ルシアン?」
 俯いてしまった友人に戸惑ったようにボリスが呼びかけると、ルシアンは勢い良く顔を上げてボリスに詰め
寄った。
 「ボリス、明日から元に戻るときは僕も一緒にいたらダメ?」
 何時もと違って気持ち見上げる形になったルシアンが、ぐっと至近距離に顔を近づけてきたことに、何故だ
か顔が熱くなるのを感じながら、ボリスが驚いたように目を見張った。
 「それは…かまわ、ない、が…」
 頬を赤らめながらたどたどしく頷いたボリスを可愛いと内心思いながら、にっこりと笑って抱きついた。
 「よかった!ありがとっボリス!」
 触れられることに慣れていないボリスが、一瞬体を強張らせるものの、無理に引き剥がそうとはしなかった
のに気を良くしたルシアンは、気が済むまで抱きついた後、月を眺めることもなくボリスの手を引いて部屋に
引き返した。
 それ以来、夜になると決まってルシアンはボリスの部屋に通うようになり、気が済むまで彼の黒髪に触れる
ようになったという。
 隙を見てくすぐったがりなふさふさの耳や尻尾を触ろうと狙いながら。














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