ささいな変化も君のことなら見逃さないんだ







The moon of restraint and light of a thaw




 手合わせの夜から5日後。ひそかに出発の日と決めていたその日の夜。しかしボリスは抜け出せずにいた。
 「…。どうしてルシアンがここにいるんだ?」
 稽古で流した汗を湯で洗い流してきたボリスは、自室のベットに先客がいることに少なからず驚いた。
 同時に焦りもする。本当は明日の夜明けとともに抜け出す算段だった彼にとって、ルシアンの来訪は大きな
障害である。
 そんな彼の焦りなど知りもせず、しかしルシアンはどこか固い表情でボリスを見つめてきた。
 「ルシアン?」
 思いつめた様子に、頭の片隅で警鐘がなっているものの、放って置く事など出来ず、ルシアンの隣りに腰掛
けた。
 そうしてしばらく互いに無言でいたが、ルシアンが意を決したように沈黙を破った。
 「ボリス…。お前ここをでていくつもりなの?」
 「…どうしてそう思ったんだ?」
 ルシアンに言い当てられて、内心ぎくりとしながらも平静を装って理由を尋ねる。確かにいつでも抜け出せ
るように準備自体は随分前からしてはいるが、荷物をまとめてはいない。しかも出発を決めたのは五日前。
 誰にも言っていないのにどうしてばれてしまったのか、ボリスは心のうちで苦い想いをかみ締めていた。
 「べつに…誰にも聞いてはいないけど…。でも呪いをかけられて今まで旅してきたってことは、その呪いを
解く為に旅をしてきたってことでしょ?ボリスは屋敷に着てから今まで自分のものとか部屋に置いたことない
し今だってすぐにでも部屋を抜け出しても、きっと誰も気付かないと思う。…それに最近…。なんだか様子が
おかしかったもの。何となくだけど、違和感があるっていうか…」
 ルシアンの言葉にボリスは内心舌を巻いた。ルシアンは温室育ちの世間知らずだといわれているし、実際ボ
リスもつい今しがたまで同じ見解でいたのだが…さすがあのドメリン=カルツの息子というべきか、本質に気
付く能力は高い。
 「…そうだ。俺は明日の夜明けに出発しようと思ってた」 
 かなわないなと、どこか安心したような心持でボリスはついに正直に告げることした。
 「明日?!」
 はっとしてルシアンがこちらに顔を向けてくるのを気配で感じながらも、目を合わせることなどできないま
ま、淡々と言葉を紡ぐ。あれほど言うまいと決めていたのに、いざ話してしまうときになると、ためらいなど
微塵もないことに、本心ではどこかで聞いて欲しい部分もあったのだと改めて気付かされた。
 「そうだ。結論から言うと、俺は多分持ってあと2年だろう。その間に呪いを解くことが出来るかどうか…
今の段階ではわからない」
 冷静に告げるボリスとは対照的に、ルシアンは衝撃に言葉もなくただ親友の俯けた横顔を凝視することしか
できない。
 ボリスは、そんな親友の様子に気付きながらも、あえてそのままゆっくりと話し続けた。
 「2年というのは、短いのか長いのか微妙なところだ。正直な話、過酷だとわかっている旅をするよりもこ
のままここに留まって死を迎えるのも…悪くないと思っていた」
 真実の重さにルシアンが息を詰める。そんな彼の様子に心苦しさを感じながら、ボリスは窓際にたって厚い
カーテンを押しのけた。
 「四日前、俺が部屋に篭っていただろう?」
 「え、あ…うん」
 問いかけられて、反射的に頷くと、月の光を浴びたボリス静かに言葉を紡いでいく。
 「この呪いには、月の魔力に弱いという弱点がある。四日前は丁度新月で、月の魔力が一番弱まる。だから
あの日は夜になっても元の姿には戻れない」
 「…じゃぁ…今は月が出てるから元に戻れてるってこと…?」
 一日中部屋に篭って、誰ともあわないようにしていた理由に、ルシアンは掠れた声で確認する。
 「そうだ」
 いくら獣人族の高い魔力耐性でも呪いに抗うことは無理なのだとボリスは頷いた。
 「で、でも!…呪いを解く為に旅をしてたんでしょ?なにか…なにか解く手がかりがあったから旅してたん
じゃないの?!」
 「…あるにはある」
 ルシアンの必死な問いに、ボリスは頷いた。それなら…と一気に顔を輝かせるルシアンに、しかしボリスは
どこか寂しそうな笑みを浮かべただけだった。
 「…ボリス?」
 彼の表情に喜色がどこにもないことに、ルシアンは顔を曇らせた。
 「…呪いを解くことが出来るのはおそらく白き魔女だけだろうな」
 あらゆる薬学に長け、あまたの魔法に精通し宮廷魔術師を凌ぐ魔力を併せ持つ名高い魔女に縋れば、この呪
いを解くことはできるはずだと旅をしてすぐの頃に、立ち寄った小さな村の年老いた占い師に聞いていた。
 「…なら!すぐに出発すれば!僕も一緒に…」
 「だめだ」
 「どうして?!」
 「だめなんだ。…白き魔女のことは俺もここに来る前…モーガンに捕まっている間もずっと探していた。で
も…白き魔女の住まう幻影城への行き方がどうしてもわからなかった。二年でそこへの行き方がわかるだろう
か?それに…もし仮に白き魔女に会えたとして、本当に呪いを解くことはできるのか?できたとして、これだ
けの呪いを解く為に必要な対価はどれほどのものなのか?…あまりにも無謀な賭けなんだ。俺一人で旅をする
分にはまだいい。俺の家族は…もうだれもこの世にはいないから。だが、お前には両親がいる。継ぐべき家業
だってある。俺には背負うものはないが、お前には背負うものも、大切な家族もいる。…それら全てを捨てて
俺と一緒に行くことになんの意味があるんだ?」
 ボリスの問いに、返す言葉もなくルシアンは俯いた。どう贔屓目に見てもボリスの意見は正しい。世間知ら
ずだと言われいるのも本当だろう。家業は…正直継ぐ気はないのだがなにより、両親は大切な家族だ。出来う
る限り悲しませたくはない。けれど…。
 「だけど…それでも、僕は一緒に行きたい。父上も母上も大事だけど…でも親友のほうが僕にはもっと大切
なんだ」
 「…ありがとう」
 ルシアンの必死の訴えに、しかしボリスは静かな笑みを浮かべただけだった。
 月の光を一身に浴びた少年は、今にも消えてしまうのではないかという儚さをルシアンに印象付けた。この
ままではきっと彼はルシアンを置いて出て行くだろう。
 なにも告げず、なんでもないようなある日に突然。だからといってこの屋敷に閉じ込めておくことも出来な
かった。そんなことをしても、或いは彼はそれでも自分を親友だといって旅を諦めてくれるかも知れないが、
二年後にはもっと遥か遠いところへと逝ってしまうのだ。自分を置いて。もうどれだけ手を伸ばしても届かな
いところへと。
 それだけは嫌だった。なんとしてもボリスの呪いを解く。そのための旅にも絶対ついていくなぜなら僕は…。
 「…行かせない。絶対に一人は許さない…」
  一人で何もかも決めてしまうボリスは、一度こうと決めたら絶対に譲らない頑固さをもっていることも知っ
ている。けれど同じくらいルシアンにも譲れないものに対する頑固さというものをもっていた。
 呟き立ち上がり、ボリスの元へと歩み寄る。
 月の光に照らされたルシアンの表情は、落ち着いたものなのに、どこか危うい激しさを内に秘めているよう
な雰囲気があった。
 ほとんどかわらない身長で、わずかに見上げるようにしてボリスの瞳を見据える。常にない気迫に、ボリス
は初めて困惑したような表情を浮かべた。
 「…ルシアン?」
 名を呼んでも返事を返すことなく、無言のままボリスの手をとると、ルシアンはベットのほうへと引っ張っ
ていき有無を言わせずそのままボリスを押し倒した。
 急展開についていけないボリスが、抵抗するのも忘れてぼんやりとルシアンを見上げている。
 「…言ってなかったけど…。僕はずっと前からボリスが好きだよ。…親友以上に」
 ボリスがルシアンの言葉を理解する前に、ルシアンは自身のそれでボリスの唇をふさいだ。
 「…っ…?!…ん…っルシ…!!」
 ようやく理解が追いついたボリスが慌てて抵抗を試みるものの、すでに両手はルシアンの左手で頭上に一つ
にまとめて縫いとめられていた。おまけにルシアンは開いたボリスの足の間に体を割り込ませている状態で、
右手はボリスの顎をがっちり捕らえているため顔を背けることも出来ない。
 それでも何とか言葉を紡ごうと口を開いた途端、今度は口腔に柔らかなルシアンの舌が入り込んできた。
 初めてのことにどうしていいのかわからず、ただ怯えたようにボリス自身の舌は奥に引っ込み、相手がルシ
アンなためかとっさに歯を立てようとしながら、結局寸でのところで歯を立てることも出来なかった。
 そんなボリスの戸惑いなど気にすることもなく、奥へと縮こまってしまったボリスの舌を強引に絡め取って
強く吸い上げると、ピクリと彼の肩が揺れる。さらに歯列をなぞり、思う様柔らかな口中を蹂躙すると、次第
に強張っていた体から力か抜けていった。
 ボリスの体から十分に力を抜き取りキスを堪能したルシアンがそっと唇を離すと、彼は大きく肩で息をして
いた。眉をよせてきつく閉じた瞼の端にある涙や、うっすらと色づいた目元が普段冷たい印象をもたらす彼か
らは想像もつかないくらい扇情的で、ルシアンは知らず口元に笑みを乗せた。
 「な…で、こん、な…」
 荒い息の合間、うっすらと開いたボリスの目線の先には、強い眼差しのルシアンが、口元にだけ小さな笑み
を浮かべていた。
 「言ったでしょ?僕はボリスが好きだって。…本当に嫌なら抵抗してよ。そうしたら僕はこれ以上しないか
ら。旅も…一緒に行くのを諦める」
 ルシアンの言葉にボリスは困惑したまま、迷うように視線を彷徨わせた。大して変わらない身長でも、大剣
を軽々と操るボリスなら、ルシアンを押しのけることなど造作もないことだろう。それでも抵抗する気が起き
ないのはどうしてかといえば、もとより抵抗する気がないからだ。それはボリスもルシアンに対して少なから
ずそういう意味での好意をもっていることになる。
 「で、も…、俺は獣人との、ハーフで…お前は人だ…なにより…俺もお前も男だろう…?」
 けれどせめて最後の抵抗とばかりに弱弱しくボリスが反論する。
 「獣人でも人でも関係ないよ。男同士とかだって気にしない。…僕はボリスだから欲しいんだ」
 直球で返された言葉に何も言い返すことができなくて、ボリスは真剣な眼差しに耐えられないように瞳を閉
じた。
 「…後悔…するかもしれないんだぞ…?」
 「しない。絶対に」
 ここでルシアンを許してしまえば、一緒に旅に出ることは決まってしまうだろう。どんなにボリスが、両親
が反対したとしてもだ。
 それでも、もうこれ以上ボリスは抵抗することは出来なかった。親友として以上にルシアンに好意を持って
いたことに気付かされたのは今まさにこのときだったが、戸惑うよりも先に、この真っ直ぐにぶつけられる気
持ちが何よりも嬉しかった。
 「…本当に…いいのか?」
 揺れる心情そのままの瞳が、躊躇いがちにルシアンに向けられる。それにルシアンはいつもの屈託のない笑
顔といつになくはっきりとした口調で告げた。
 「僕はボリスが大好きだから。…ずっとボリスと一緒にいたい」
 その言葉に、とうとう観念したのか、ボリスはそっと目を閉じた。間をおかず、やさしく唇に触れる柔らか
な感触に、ボリスはもう何も言わなかった。














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